母の緊急手術の連絡を受け、父の動揺が電話の声でわかったので、
「何はともあれ・・・」と思い、病院に出かけた我が家。
母と面会して、元気な声を聞けたので昨夜帰宅しました。
もう一泊したい気持ちもあったのですが、息子を主人の父母に
預けてきたこともあるし、母は完全看護なので、今どうこうという事
もないし、「父も大丈夫」というのでね。(^^)
それでも、今朝方父が1人で大丈夫か、ちょっと心配で電話をしました。
昨日、父は母の手術と入院で精神的に疲れているようで、私が
食事を作ってもほとんど食べないし、「下痢がひどくいんだ・・・」
と言っていたのでね。
私の父はとても神経質なまじめな人なんです。
いわゆる一流企業の管理職を60歳定年まで勤め上げた後に、
関連会社へのいわゆる天下りを推薦されたにもにも関わらず
「母さん孝行したいたい」との言葉を残して退職しました。
今から9年前の事です。
「母さん孝行」と口では言うものの、それまではまさに会社人間、
家庭を振り返ることをしなかった人なので、発言とやることは別物。
それはそれは母にはうるさい存在となったようでした。
その反面、仕事人間としてのプライドもあるので、地元NPOの理事を
行なったり、福祉事業のお手伝いをしたり、本人の意思とは違うことを
やってきているような感じで、それが逆にストレスになるようで、母に
あたることもしばしば・・・。
それが元でいつしか喧嘩になり、父から「離婚するかも・・・」
なんていう話になったことがありました。
実は、私は物心ついた頃から父が大嫌いでした。
だから高校卒業後は家を出た時期もありました。
私の時代には女の子のほとんどが短大に行く時代で
4年生大学に行くと、女性には就職口がないと言われていました。
でも私はあえて父の反対を押し切り、しかも担任の地元大学の
推薦入学も断り、4年制大学を選びました。(浪人していますが・・・)
その後、就職も父には「???」の多いメディアの世界へ。
しかも、ついた仕事は今はあたりまえになっているかもしtれませんが
「3ヶ月は試用期間」ということで保険も給与も適用されず、家に帰って
くるのも週一度になり・・・。
父はそんな娘の仕事が許せなかったのでしょう。
勝手に関連企業の社長と話を進め、面接話を決めてきたことも度々でした。
その後、私の仕事も安定して認めてくれるようになり、現在は子供もいる身。
しかし、現在も子供がいるにも関わらず、学校に通っていたりしているので、
それはそれで納得がいかないようですが、娘婿(私の旦那)が
「僕があえて行けば・・・と言っているんですよ」との言葉を受けて、
この頃はなんとなくですが、納得せざるを得ないと思っている節があるようです。
それでも、本当に頑固もの父です。(^^;
そんな父に今朝、電話をして「あまり無理をしないように・・・私もお母さん
が退院したら手伝いに行くし・・・」と話をすると、声を震わせて泣く父の声。
「おかあさんが死んでしまうかと思って・・・。」
父が60歳を過ぎた頃に軽い心筋梗塞で入院したことがありました。
でも母はとても冷静でした。
老いが父を弱くしたのかもしれませんが、それ以上に
「先に亡くなるのは父ではないとダメだなぁ」と思いました。
また、「あの頑固な父が泣くなんて・・・」とショックの反面、
「父をもっと気遣い、やさしくしてあげないといけないなぁ」と
改めて思いました。
そんな風に考えるのは私も年をとり、親になったせいでしょうね。
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