父(祖父)の涙 | You★Meの今日もはっぴぃDAY

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小学校6年生と4年生、4歳児の一男二女との子育てを中心におでかけ、キャラ弁作り…自らの体験で綴る「子育て情報」ブログです♪

母の緊急手術の連絡を受け、父の動揺が電話の声でわかったので、

「何はともあれ・・・」と思い、病院に出かけた我が家。

母と面会して、元気な声を聞けたので昨夜帰宅しました。


もう一泊したい気持ちもあったのですが、息子を主人の父母に

預けてきたこともあるし、母は完全看護なので、今どうこうという事

もないし、「父も大丈夫」というのでね。(^^)


それでも、今朝方父が1人で大丈夫か、ちょっと心配で電話をしました。携帯


昨日、父は母の手術と入院で精神的に疲れているようで、私が

食事を作ってもほとんど食べないし、「下痢がひどくいんだ・・・」

と言っていたのでね。


私の父はとても神経質なまじめな人なんです。


いわゆる一流企業の管理職を60歳定年まで勤め上げた後に、

関連会社へのいわゆる天下りを推薦されたにもにも関わらず

「母さん孝行したいたい」との言葉を残して退職しました。

今から9年前の事です。


「母さん孝行」と口では言うものの、それまではまさに会社人間、

家庭を振り返ることをしなかった人なので、発言とやることは別物。


それはそれは母にはうるさい存在となったようでした。


その反面、仕事人間としてのプライドもあるので、地元NPOの理事を

行なったり、福祉事業のお手伝いをしたり、本人の意思とは違うことを

やってきているような感じで、それが逆にストレスになるようで、母に

あたることもしばしば・・・。


それが元でいつしか喧嘩になり、父から「離婚するかも・・・」

なんていう話になったことがありました。

(その時の記事はこちら)




実は、私は物心ついた頃から父が大嫌いでした。むっ


だから高校卒業後は家を出た時期もありました。


私の時代には女の子のほとんどが短大に行く時代で

4年生大学に行くと、女性には就職口がないと言われていました。


でも私はあえて父の反対を押し切り、しかも担任の地元大学の

推薦入学も断り、4年制大学を選びました。(浪人していますが・・・)



その後、就職も父には「???」の多いメディアの世界へ。


しかも、ついた仕事は今はあたりまえになっているかもしtれませんが

「3ヶ月は試用期間」ということで保険も給与も適用されず、家に帰って

くるのも週一度になり・・・。


父はそんな娘の仕事が許せなかったのでしょう。

勝手に関連企業の社長と話を進め、面接話を決めてきたことも度々でした。


その後、私の仕事も安定して認めてくれるようになり、現在は子供もいる身。


しかし、現在も子供がいるにも関わらず、学校に通っていたりしているので、

それはそれで納得がいかないようですが、娘婿(私の旦那)が

「僕があえて行けば・・・と言っているんですよ」との言葉を受けて、

この頃はなんとなくですが、納得せざるを得ないと思っている節があるようです。


それでも、本当に頑固もの父です。(^^;


そんな父に今朝、電話をして「あまり無理をしないように・・・私もお母さん

が退院したら手伝いに行くし・・・」と話をすると、声を震わせて泣く父の声。


「おかあさんが死んでしまうかと思って・・・。」汗



父が60歳を過ぎた頃に軽い心筋梗塞で入院したことがありました。

でも母はとても冷静でした。


老いが父を弱くしたのかもしれませんが、それ以上に

「先に亡くなるのは父ではないとダメだなぁ」と思いました。しょぼん



また、「あの頑固な父が泣くなんて・・・」とショックの反面、

「父をもっと気遣い、やさしくしてあげないといけないなぁ」

改めて思いました。



そんな風に考えるのは私も年をとり、親になったせいでしょうね。



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